フライフィッシング歴史年表(都度更新)

ウェットフライ,サーモンフライ,ドライフライ,フライフィッシング,歴史

およそ2,000年の年月を経て西洋と東洋のフライフィッシングが融合していっている現代。その道のりをローマ時代から現代までのフライフィッシングの年表として、日本とイギリス・アメリカの歴史の絡み合いが分かりやすくなるよう、少しずつ更新しながらまとめていきます。気長にお付き合いください。

年表

フライフィッシング年表

0220
ローマ帝国の年鑑にマケドニアの毛鉤釣りが紹介される
1450
オーストリア・アドモンド修道院の祈祷書
オーストリア・アドモンド修道院の祈祷書

オーストリア・アドモンド修道院においてベネディクト会の修道僧が書いた祈祷書に初期新高ドイツ語でフライフィッシングで使うフライのレシピが書かれていた。現存する最古のフライフィッシングについて書かれた本である。

1467
応仁の乱勃発
1492
コロンバスのアメリカ到達

イタリアの探検家、クリストファー・コロンバスが中央アメリカへ到達する。

1496
ジュリアナ・バーナーズ「釣魚論」
ジュリアナ・バーナーズ「釣魚論」

原題「The Treatise of Fishing」は修道尼僧バーナーズによる記録書「The Boke of St. Albans」第二版に追加された部分。当時すでに人気だったフライフィッシングを非常に詳しく紹介している。

1603
江戸幕府創立
1639
鎖国の始まり

全ての貿易は長崎の出島に集約され、海外からの文物は全て厳しく統制されるようになってしまった。

1653
アイザック・ウォルトン「釣魚大全」
アイザック・ウォルトン「釣魚大全」

原題「Compleat Angler」 言わずと知られた世界的な名著。ウォルトンは「釣魚論」からの引用を頻繁に行うほど影響を受けていた。

1678
京雀跡追に毛鉤の記述

京都における職業案内であった「京雀跡追」の中に「はへ頭」の記述が残っており、日本最古の文献に残る記述と言われている。 当時の京都では、「はへ頭=蠅頭」と呼ばれる鮎釣り用の毛鉤が職人たちによって生産されていた。

1695
井原西鶴「西鶴俗徒然」

京都の宇治川でオイカワが蠅頭=毛鉤で釣られている記述あり。

1740
リチャード・ブルックス「釣りの芸術」
リチャード・ブルックス「釣りの芸術」

表紙に手竿を使ったフライフィッシングとフライが紹介される。

1776
アメリカ合衆国独立宣言

東部13州が大英帝国に対して独立を宣言。同時に独立戦争が始まり、イギリスとアメリカの間の工業品の貿易がストップする。

1791
ウィリアム・バートラムが旅行記にセミノール族のバスバグについて報告
ウィリアム・バートラムが旅行記にセミノール族のバスバグについて報告

博物学者のバートラムが1791年に出版した「南北キャロライナ、ジョージア、東西フロリダへの旅行記」の中でセミノール族が「ボブ」と呼ばれるバスバグを使って釣りをしていることを報告。

1804
アメリカ合衆国、ミシシッピー川流域フランス領を買収併合

フランス領ルイジアナ(ミシシッピー川流域全土)を買収して領土拡大。 この地域の巨大な狩猟産業がアメリカに統合される。

1833
葛飾北斎「千絵の海」の中に「蚊針流」が描かれる
葛飾北斎「千絵の海」の中に「蚊針流」が描かれる

鮎を毛鉤で釣る釣り人たちの姿が描かれている。

1841
大英帝国による香港占領・統治開始

アヘン戦争中にイギリス海軍のチャールズ・エリオット大佐が香港島を占領、初代行政長官に就きイギリス領香港が始まる。

1846
サミュエル・フィリップによるスプリットケーン・フライロッドの発明

米国ペンシルバニア州イーストンの釣竿職人だったフィリップが、竹を分割して3ないし4枚合わせで張り合わせることで軽量・強化されたフライロッドを作り出すことに成功した。

1848
アメリカ合衆国、米墨戦争に勝利しメキシコより西海岸領土獲得

メキシコの所有する西海岸領土が割譲され、アメリカ合衆国の太平洋航路が確保された。

1854
日米和親条約

江戸幕府とアメリカ合衆国の間で締結された国交樹立の条約。 250年続いた鎖国はこの日に終わった。

1856
オーヴィス社創設

チャールズ F. オーヴィスによって米国バーモント州マンチェスターにタックルショップとして創設。

1858
日英修好通商条約

江戸幕府とイギリス政府の間に締結された通商条約。 日本とイギリスの正式な国交の開始とされる。

1864
サーディアス・ノリス「The American Angler’s Book」
サーディアス・ノリス「The American Angler’s Book」

「アメリカのウォルトン」と呼ばれるサーディアス・ノリスによって書かれた、アメリカ初のフライフィッシングに関する本。 アメリカに生息すフライフィッシングの対象魚や当時よく使われていたフライやフライタックルについて書いているだけでなく、当時の環境汚染などについても議論をしている。

1868
明治改元
1869
ハイラム L レナードによるH.L.レナード社の設立

米国メイン州バンゴーにて、レナードによって現在のような六面体に張り合わせるスプリットケーン・ロッドを製作するロッドカンパニーが設立された。 後にH.L.レナードはニューヨーク州セントラルバレーへ移転する。

1870
活版印刷が本格化する

江戸時代を通じて木版印刷が主流だった日本でも活版印刷が本格化した。

1871
廃藩置県
1874
ハーディー社設立

ウィリアム・ハーディー、ジョン J.ハーディー兄弟によって英国ノーサンバランド州アルンウィックに創設。

1879
ジョージ S マリアットとフレデリック M ハルフォードの出会い

ウィンチェスターのフライショップにおいて、2人のドライフライ開発者が初めて出会った。 この出会いが無ければドライフライは存在していなかったと言われている。

1883
チャールズ・オーヴィス「Fishing with the Fly」
チャールズ・オーヴィス「Fishing with the Fly」

オーヴィス社創業者のチャールズ・オーヴィスによって100種以上のフライをスケッチと共に紹介されたピクチャーブック。

1886
フレデリック M. ハルフォード「乾式毛鉤の作り方」
フレデリック M. ハルフォード「乾式毛鉤の作り方」

原題「Floating Flies and How to Dress Them」 「近代ドライフライの父」と呼ばれるハルフォードの代表作。

1887
農商務省、ニジマスの卵を中禅寺湖と猪苗代湖へ初放流

同時にアメリカによるニジマスの初めての輸出だった。 ドイツへの輸出が1889年、イギリスへの輸出が1895年なので、先進的な試みであったことが分かる。

1889
大日本帝国憲法発布
1891
ハーディー「パーフェクト」フライリールを発売
ハーディー「パーフェクト」フライリールを発売
1892
メリー・オーヴィス「人気フライとその歴史」
メリー・オーヴィス「人気フライとその歴史」

原題「Favorite Flies & Their Histories」。 オーヴィス創設者の娘であるメリー・オーヴィス・マールベリーによって、水生昆虫や陸生昆虫、様々なフライが紹介された。 (Darville's Rare Printsより転載)

1895
ジョージ・ケルソン「サーモンフライ」
ジョージ・ケルソン「サーモンフライ」

原題「The Salmon Fly」 雑誌「ランド&ウォーター」のフィッシング記事の編集担当だったケルソンが取りまとめた、サーモンのフライフィッシングに関する詳細をまとめた著書。

1899
エドワード・グレイ「フライフィッシング」
エドワード・グレイ「フライフィッシング」

原題「Fly Fishing」。第一代目ファランドン子爵となったエドワード・グレイによるフライフィッシングに関する知識を詰め込んだ大作。 グレイ卿は第一次大戦時にイギリスの外務大臣を努めていた。 (Wikipedia Creative Commonsより引用)

1902
グラバーらによる湯川・湯ノ湖へのブルックトラウト放流
グラバーらによる湯川・湯ノ湖へのブルックトラウト放流

トーマス・ブレーク・グラバーとハロルド・パーレットによって、アメリカ合衆国コロラド州から取り寄せられたブルックトラウトの発眼卵が放流される。実際は駐日英国大使マクドナルドによる中禅寺湖漁協への寄付として記録されており、1901-1903の3年間に渡って寄付が続けられていた。

1910
岩崎小弥太によるニジマスの芦ノ湖放流
1912
大正改元
丸沼鱒釣会の結成
丸沼鱒釣会の結成

群馬県丸沼に、鍋島桂次郎と土方寧を中心に鱒釣を楽しむための倶楽部が結成された。 メンバーは赤星鉄馬、西園寺八郎、岩崎小弥太などの財界人や華族が名を連ねていた。

1914
第一次世界大戦勃発
1915
セオドア・ゴードン死去
セオドア・ゴードン死去

キャッツキルでネバーシンク川をはじめ、ビーバーキル川やウィローメク川など今でも有名な一級フィールドを開拓した作家セオドア・ゴードンがネバーシンク川畔の自宅で死去。この辺一体の集落はネバーシンク貯水湖建設のために今も湖底に沈んでいる。

1925
ハンス・ハンターらにより「東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部」設立

グラバーの別荘をゲストハウスとして譲り受けたハンス・ハンターが中禅寺湖のコミュニティーと丸沼鱒釣会のメンバーと協力して作り上げたクラブ。会長は鍋島直映でハンターは理事長を務めた。管理人は大島久治、ギリーは星野直八。

フランク・ソーヤがエイヴォン川のリバーキーパーになる

「フェザントテール・ニンフ」や「キラーバグ」などで有名なフランク・ソーヤが、イングランド ウィルトシャー州ソールスベリー北のエイヴォン河畔の「レイクハウス」(現在、スティングが所有)を拠点にリバーキーパーとしての活動を始める。

1926
昭和改元
1929
R.L. ウィンストン ロッドカンパニー創業

米国カリフォルニア州サンフランシスコにて、ロバート・ウインザーとルー・ストーナーによりR.L.ウィンストン・ロッドカンパニーが創立される。 画期的な中空構造のバンブーロッドの特許を取り、キャスティングトーナメントを主眼においたロッド開発が始まる。

1931
雨読晴釣山人「酪臭釣話」が雑誌「釣之研究」に連載

ペンネーム「雨読晴釣山人」を持つ、アメリカ帰りの元・三井物産社員の綾井忠彦による奥日光におけるフライフィッシングの話が1931-1932年の期間に掲載されている。

ウィリアム・ブッシュによるパラシュートフライ用フックの特許出願

デトロイト在住のウィリアム・ブッシュが自身が開発したパラシュートフライ用のフライフックの特許を出願、1934年に特許成立。

1935
目黒廣記「鱒釣り 附いわな、やまめ」
目黒廣記「鱒釣り 附いわな、やまめ」

淡水魚の飼育と釣りの研究をしていた目黒廣記による本書の中で、鱒類の養殖から釣り方を紹介する中でフライフィッシングや毛鉤釣りも取り上げられている。

1938
レイ・バーグマン「トラウト」
レイ・バーグマン「トラウト」

アメリカのウェットフライにおけるバイブル的なレイ・バーグマンの著書。 1933年から1960年まで「アウトドライフマガジン」誌(1898年創刊)の記者を務めたバーグマンが生涯20万本のフライを巻いた彼のメソッドやフライパターンが余すことなく紹介されている。 メリー・オーヴィスがまとめたイギリスと北米で使われていたウェットフライの中で継承されてきたものをバーグマンが紹介しつつ、自らが実際の釣りの中で生み出したメソッドやオリジナルパターンを紹介している。地元ニューヨークのキャッツキルはもちろん、アメリカとカナダを釣り歩く中で、

1939
第二次世界大戦勃発

ナチスドイツがポーランドへ進攻して第二次世界大戦が始まった。

1940
松崎明治「Angling in Japan」

朝日新聞の松崎による、幻の東京オリンピックに合わせて日本の釣りを紹介しようとして刊行された写真グラフ誌。

1941
金子正勝「毛鉤釣教壇」
金子正勝「毛鉤釣教壇」

日本初の豊富な図解入りのフライフィッシング教書。「乾式・湿式」の鱒のフライフィシングだけでなく、テンカラ、鮎毛鉤、ハヤやワカサギなど「毛鉤」の釣りを広く扱っている。

1942
松崎明治「釣技百科」

1938年に朝日新聞より発行された「釣百科」を下地として、日光のフライフィッシング事情などを追記して発行された完成版。 中禅寺湖や湯川など奥日光への放流、猪苗代湖や芦ノ湖への放流などが詳しく記されている。

1946
ヘイブンズ博士がグラスファイバーで中空ロッドを作る技術開発に成功
ヘイブンズ博士がグラスファイバーで中空ロッドを作る技術開発に成功

米国NARMCOを創業したグレン G. ヘイブンズ博士により、中空構造のグラスファイバーロッドの製造に成功する。 「コノロン=Conolon」と呼ばれるロッドブランクとして50年代より販売開始。これ以降、竹に変わる新素材としてグラスファイバーのフライロッドが登場することになった。

日本国憲法公布
1947
セオドア・ゴードン “The Complete Fly Fisherman"
セオドア・ゴードン “The Complete Fly Fisherman"

英国式フライフィッシングをアメリカへ広めたセオドア・ゴードン(1854-1915)。 キャッツキル・ドライフライのパイオニアで、「ドライフライの父」として知られる作家の彼の随筆や手記をミシガン大学がまとめたフライフィッシング教書。

1952
サイエンティフィック・アングラーズによるPVCフライラインの発表

1945年に米国ミシガン州ミッドランドに創立されたサイエンティフィック・アングラーズ社により、芯糸の上にPVCでコーティングする画期的なフライラインが登場。

1955
トーマス・ブレークモア、鈴木魚心「養沢毛鉤専用釣場」開設

フライフィッシング愛好家のアメリカ人弁護士ブレークモアとルアー&フライ引率者であった鈴木魚心が協力して、東京郊外の養沢川へフライフィッシング専用釣り場を解説した。

1960
サイエンティフィック・アングラーズによるシンキング・フライラインの発表

PVCコーティングされたフライラインの技術が発展し、コーティング材の中に重量の高い粒子を作り込むことで、沈降速度をコントロールできるシンキング専用フライラインが生まれた。

1964
ハーディー社、RAE、MRDC社による「タイプ1」カーボンファイバー・ロッド開発成功
ハーディー社、RAE、MRDC社による「タイプ1」カーボンファイバー・ロッド開発成功

ハーディー社のジェームズ・ハーディーと、兼ねてからPAN方式のカーボンファイバー技術を開発してきたRAE(Royal Aircraft Establishment)のレスリー・フィリップス、ロッドブランク製造企業MRDC社の協力体制により、世界初のカーボンファイバー「ハーディー 9 1/2'」スピニングロッドが生み出された。

1973
フェンウィック社、「高弾性グラファイト」HMGフィッシングロッドを販売開始

米国フェンウィック社が本格的なカーボンファイバーロッド「HMG」シリーズの販売を開始した。ベイトキャスティングロッドが先行し、フライロッド は翌年発売されたが、折れやすいと悪評が広まった。

1974
ラミグラス社のルーミスがグラファイトロッドを発売

当時ラミグラス社でロッド開発を担当していたゲイリー・ルーミス(G.ルーミス創業者)が、「95%グラファイト」シリーズを発売したが、新素材に対する信頼が低く販売は低迷した。

鈴木魚心「フライ・フィッシング全科」
鈴木魚心「フライ・フィッシング全科」
シェイクスピア社がオーヴィス社へグラファイトブランクを提供開始

60年代からカーボンファイバー技術に取り組んできたシェイクスピア社がオーヴィスへグラファイトのブランクを提供。 オーヴィス初のグラファイトロッドはこの年に発売、シェイクスピア自身のグラファイトロッドは翌年発売された。

1980
セージ社 創業

米国ワシントン州ベインブリッジ・アイランドにて、ドン・グリーンにより最先端テクノロジーと高品質を追求するロッドカンパニーとしてセージ=SAGEが創業される。

1982
G.ルーミス創業

米国ワシントン州ウッドランドに独自のロッドブランクを製造する企業としてゲイリー・ルーミスによってG.ルーミスが創業される。

1994
モニック社が透明フライラインを発売
モニック社が透明フライラインを発売

アングラーで化学エンジニアのボブ・グッデールがベリーズの強い風の中で警戒心の強いボーンフィッシュやパーミットを相手にロングリーダー・システムで釣りをしていてストレス爆発!重たいフライを風の中でもロングキャストしやすいテーパーデザインと透明であるフライラインを開発して発売開始。

2009
スティーブ・レイジェフがフライキャスティング飛距離243フィートで世界記録更新
スティーブ・レイジェフがフライキャスティング飛距離243フィートで世界記録更新

この年のACAトロント大会で、スティーブ・レイジェフがシングルハンド・フライロッドで243フィート=74メートルの世界記録を打ち立てた。ちなみにそれまでの世界記録も彼の236フィート。

2011
ヘンリー・ミッテルがツーハンドで294フィートの世界記録
ヘンリー・ミッテルがツーハンドで294フィートの世界記録

現在ACA会長のヘンリー・ミッテルがツーハンドロッドで294フィート(90m)の世界記録を打ち立てた。

2014
Patagonia 「シンプル フライフィッシング」
Patagonia 「シンプル フライフィッシング」

Patagonia創業者のイヴォン・シュイナードを初め、マウロ・マッゾ、クレイグ・マシューズらが日本古来のフライフィフィッシングである「テンカラ」を「シンプル・フライフィッシング」と名付けて本格的に既存のフライフィッシングと融合させて売り始めた。

関連記事

歴史あるクラシックパターンにオススメのマテリアル

ノーザンスパイダーをはじめ、ウェットフライの濡れた時の発色を考慮されて染色されたタイングスレッド。

フランク・ソーヤの時代のウール・ニンフのマテリアルをエイヴォン川そばのマテリアルカンパニーが忠実に再現!

引用元・参考資料・文献サービス

この記事のディスカッションに参加する | Join the Discussion

東京フライフィッシング&カントリークラブのFacebook グループ「Friends Lobby」ではメンバー以外の方とのディスカッションも行っています。気になる情報や質問などはこちらまで!