小笠原諸島へ遠征:4日目

2020/11/25ソルトフライ,フライフィッシング,フレデリック・ロース,小笠原,幕末,捕鯨,東京都,歴史,母島

母島での2日目の朝を迎えましたが・・・相変わらず雨模様で気温もさらに下がってしまいました。港まで歩いて行って水温を確かめますが昨日よりも下がっています・・・。疲れもあったので、頭を切り替えてスクーターをレンタルして島の探索とちょっとばかり観光をしてくることにしました。

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ザトウクジラ

海が見降ろせる場所にふと足を停めて遠くをみると、ハワイ島で見たのとそっくりなザトウクジラの親子が一瞬見えました。写真に収めることはできませんでしたが、素晴らしい野生の王国です!

珍しい標識

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さらに島ならではの面白い標識も発見。「動物の横断に注意」が、ここではヤドカリです!

そのまま道の終わるところまで走ってみると都道最南端に着いてしまいました。

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そんなのんきに景色を見れていたのもここまで。急に風と雨が強くなってきたので急いで沖港の集落へ戻ります。小笠原という日本の中でも変わった歴史を持つ地方を詳しく知りたかったので、ロース記念館という、もともとは倉庫として1913年に建てられた珍しい建物へ向かいます。

ロース記念館・・・母島初の入植者

小笠原諸島を最初に訪れた人間は石器時代にはいたらしいのですが、実はきちんと定住した初めての人間は日本人ではありません。大航海時代にはフィリピンとメキシコを結ぶ航路を進むスペインのガレー船や対抗したイギリスの探検船などが訪れており、その後アメリカによる太平洋での資源としての商業捕鯨がハワイ王国を中継地として盛んだった時代、嵐を避けたり水や食料の補給に便利な「ボニンアイランズ」として知られていました。

黒船来航の江戸時代末期、幕府も日本人入植者を送り込む計画を進めていましたが、それより早くここ母島へ最初に定着したのは、フレデリック・ロース(ロルフス)という名のブレーメン出身のドイツ人でした。イギリス商船(海軍だったとも)から脱落した彼は、その後に島へやってきた日本人植民たちを手厚く歓迎して、慣れない亜熱帯での飢饉から彼らを救済しただけでなく、台風でも破壊されない家を作るための石工の方法を伝授したりしました。母島の英雄であった彼の名前をとって、地元で算出される石は「ロース石」と名付けられ島の発展のために大いに役立つ事になりました。

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後に日本へ帰化したロースさんが建てた堅牢な建物は資料館となり、中には母島の貴重な歴史を伝える写真や文化遺産が展示されています。幾度とない嵐を経てもしっかりと立ち続ける建物は母島のシンボルであり、功労者ロースさんの銅像には供物が欠かさず捧げられています。

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ロースさんの生きていた頃の母島へ想いを寄せながら、さらに強まる風と雨で探索を諦めて、宿へ戻ってフライを巻く事にしました。

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