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エド・吉田

2024/11/14TFFCCメンバー,アングラー,ガイド,キャッツキル,ソルトフライ,ツーハンド,バイリンガル,フライで100魚種,フライフィッシング,マイクロスカジット,取材,東京

TFFCCプロメンバー。

1995年に打ち込み系音楽からフライフィッシングへ転向して29シーズン目に突入。最近はいろんなスタイルの「毛鉤釣り」を楽しむ渋谷系フライフィッシャーで二児の父。7cmのイシダイ稚魚も105cmのシイラも同じくらい愛しい、北は北海道の知床から南は沖縄の西表島までフライタックル・スピニングタックル・ベイトタックル・テンカラで釣れる魚はなんでも楽しんでいます。

「北方モード」の時の血中アルコールは山葡萄ワイン

一応、元ボーイスカウトで元山岳部で、いつかクライミングをマスターしたいと言ってるだけで体重落とせず、いまだにただのトレッカーです・・・。

「南方モード」の時は、血中アルコールはオリオンビール

ハンドルネーム:Neversink
言語:日本語、英語、フランス語片言
フライを始めたきっかけ:音楽以上に天国の気分を味わえるから
初めてフライタックルで釣った魚:ニューヨーク州ラマポ川のスモールマウスバス
好きなスタイル:サイトフィッシング全般とスイング・ウェット、ストリーマーフィッシング、タイトライン・ニンフィング
フライを続ける動機:スポーツ性、フライタイングとプレゼンテーションの面白さ、魚種コレクション、水辺の景色、キャンプや登山と同じく野生との遭遇や冒険、同じ志をもつアウトドア仲間との楽しい出会い
ホームショップ:曾祖父さんの鮎道具から息子たちのポケモンロッドまで5代全員、渋谷SANSUI

スプーン&ウェットフライという未知との遭遇

まだフナやコイを延べ竿で釣るのに夢中な小学生だったある年のクリスマス、両親からデアデヴィルのスプーンが6個入った箱と綺麗に巻かれたウェットフライが6本飾ってある箱をプレゼントされました。スプーンもウェットフライも青山通りに当時あったセレクトショップの「レイジースーザン」で、グリーンスタンプと交換でもらってきたものだったと思います。

スプーンは学研の「釣りのひみつ」という学習マンガで読んで知っていましたが、ウェットフライを見たのは初めてです。翌年の春に山梨県の常設釣り場「ホリデイロッヂ鹿留」へ父の友人家族みんなと一緒に釣りに行った時に、防波堤でのアジ釣り用に持っていた片手投げのスピニングタックルでスプーンをニジマスへ投げると追っかけてくるけど全然釣れません。見かねた父の友人が「トレーラーでやってみよう」と言うと、持っていたウェットフライをハリスでスプーンに結びつけてくれました。なんとかこの方法で初めてのニジマスを釣ったのですが、これが生まれて初めてフライというもので魚を釣った瞬間でした。正直その時はあまり面白い釣りに思えず、「外国のサビキみたいなもんだな」と思っていました。

ヤマメのテンカラ初体験

中学生の夏休み、家族旅行で長野県蓼科へ行った時に、父に連れられて渓流釣り名人と呼ばれる方の引率で初めての源流を毛鉤で釣ることになりました。テンカラなんて聞いたことも無ければ、いきなり源流みたいな歩きづらいところを死に物狂いで釣り上るのも初めて。渓流竿なんてダサいと思っていた私はスピニングロッドを使うことを主張。なんと毛鉤をスピニングロッドの先へ吊り下げて提灯釣りをすることに。名人は12匹、初めての父は2匹、私はボウズでしたが、釣れなくても美しいヤマメがスプーンを追いかけて来るだけで十分楽しかったことは覚えています。えっ?毛鉤はどうしたかって?正直、チョンチョン叩くのがあまり面白くなかったのでロクに覚えていません。当時は大人気のバスフィッシングに胸がときめいていましたからキャスティングしたくて仕方なかったのです。

NY州モントーク:ストライパーのフライフィッシングで衝撃を受ける

高校からアメリカへ留学してからは、音楽がメインの趣味だったので釣りもキャンプもやれる時にやる程度でしたが、バス・ソルト兼用のABU アンバサダーリールをシングルハンドロッドへ乗せてバスを釣ったり、ツーハンドロッドで天秤投げてヒラメを釣ったり、ジグを投げて青物を釣ったりしていました。でもフライフィッシングとの接点は皆無でした。

当時のNY州ロングアイランドはメタルジグや重いペンシルを使ったサーフキャスティングが大ブームで、私も仲間から引き込まれてブルーフィッシュというブリを凶暴にしたような魚の群れやストライプドバスの群れを海岸から海岸へ車で移動しながら追いかけて、1日に何十マイルもランガンすることに参加していました。PEラインなんてなかった時代、ベイトリールの飛距離なんて大したことありませんから、ジグやペンシルの飛距離が足りる穴場を探して、ロングアイランドの東の果てにあるモントークという街の海岸まで釣りに行っていました。

当時インターン先でもらった愛読書「Joe Brooks Saltwater Game Fishing」

ある日、名ポイントである「モントーク灯台」で釣っていた最中のことです。朝の時合いも収まって仲間たちとコーヒーブレイクしていると、どこから来たのか、波に揺られる小型ボートの上でサングラスをかけたすかした40代くらいのリッチそうなおじさんがヒュンヒュンラインを前後に飛ばしながらフライフィッシングをやっているのです。岩場のサラシや時々起こるナブラへキャストしているのですが、投げているものが小さすぎてロクに相手にされていません。あまりにも大げさな道具仕立てで一生懸命釣っているので、釣り仲間と笑っていたら、なんと我々の目の前でグッドサイズのストライプドバスを釣り上げてしまいました。偶然だろうと思っていたら、日中だというのに連発ヒットです!なんという釣法!

こいつは俺もやってみようとニューヨークの街へ戻ってからフライフィッシング専門店のOrvisショップへ行って店員さんに「ストライパーのフライフィッシングやりたいんだけど」と相談したら気の毒そうな表情をされて「君には無理だよ」と言われてしまいました。金額を聞いて頭が真っ白に・・・道具もガイドボートもフライまで高い!釣りに行くだけで毎回新しいギターやシンセイサイザーが買えてしまいます。こんな超金持ちの釣りなんてできる訳ないだろう!

フロリダ州キーズでフライフィッシングに惚れる

フライフィッシングなんてのはウォール街で儲かっている奴が金に糸目をつけずにやるアホの道楽だ。けしからん!そう思っていたある日、春休みにフロリダへ遊びに行って知り合いに連れられて運河のターポンや湿地帯のスヌークを低予算ルアー・ツアーで釣ったあと、観光でキーウェストに行った帰り、道路脇の珊瑚礁で6人くらいのラフな格好をしたワイルドなおじさんたちがクーラーボックスに満載した冷たいビールを飲みながら、かっこいいリールのついたフライロッドで釣りをしているところへ遭遇しました。羨ましそうに見ていた視線を感じたのでしょう。「ビール飲むかい?」と誘ってくれて道具を見せてくれました。「これ・・・ガイドだとか全部入れて何千ドルも払うんだろ?」と恐る恐る聞いたら、「とんでもない!俺のロッド&リールは質屋に出ていたのを買ってきて300ドル少しだよ?」
ナヌ!?ギターより安いじゃんか。よく話を聞くと、仲間同士でポイントを教えあったり車に相乗りしたりフライを交換したり、なかなか地に足がついたナイスガイたちだ。おじさんと見間違えたヒゲ面の一人なんか俺と同じ年でアウトドアショップの店員だっていうし、これなら俺でもできる!やってみよう、となったのでした。

はじめてのフライフィッシング – ラマポ川

ニューヨークへ戻ったあと、ルアーフィッシングを教えさせていただいていた知人の方の別荘に行った帰りに立ち寄った場末のタックルショップで出会ったのは、埃をかぶっていた安売りセールで45ドルだった教則VHSテープ付きのCortlandの色あせたスターターキット。店のオヤジ曰く「すぐそこの川でトラウト釣れるからやってみたら?」

ニューヨーク州ラマポ川

一緒にフライも買い、近くの格安モーテルに泊まり、ビデオを見て練習してから翌朝に短パンにサンダルという服装で川へ入ってなんとなく「インジケーターニンフの釣り」をやってみたら、オレンジのスカッド10番がうまく流せずに川を大きくスイングしてしまいます。それが功を奏して偶然橋桁の影をフライがスイングしたのにヒット!いきなりハードファイターの45cmのスモールマウスバスがフライフィッシングで釣り上げた初めての魚となりました。

でも「トラウト」じゃ無いのでバケツに活かしてオヤジに見せにいったら、「ブラックトラウト=黒鱒だよ!」だって・・・。

格安のモーテルをベースキャンプにできる上にブルックトラウトの放流も行われているこのラマポ川で練習開始。とりあえず自分にも釣れる魚を中心にスモールマウスやウグイみたいな魚も釣れます、続けてその近くのセブンレイクスのラージマウス、イエローパーチ、ブルーギル祭り・・・。肝心のブルックトラウト以外ならフライフィッシングは実に良く釣れる。1995年の夏でした。

キャッツキルでドライフライ・デビュー

ニューヨーク州キャッツキル地方のネバーシンク川

その後、大学で選択科目を教えるスコットランド人の教授がフライフィッシング狂であることが発覚。「釣り場まで往復、車を運転してくれるなら、交通費は俺もちでフライフィッシングを教えてやる」と言う取引(教授はアル中で車の運転がダメ)に応じて、キャッツキルの端くれネバーシンクリバーまで通う日々がスタートしました。ちなみにここまでの釣果はほとんどがニンフ。

しかし、どうやっても教授が教えるとおりに投げてもドライフライに魚が出ません。キャストだけなら教授よりも遠くに飛ばせるのになぜ・・・。そう、教授が使っていたのは3番タックル。私のは7/8番タックル。ドライフライの落とし方なんか知らないし、投げるたびにブルックトラウトはスプークしていたのでした。3回通ってノーフィッシュ。

その後、ニューヨーク市内のフライショップに通うようになってタックルやらナチュラルドリフトの知識もついたのでG.Loomisの5番ロッドを入手して教授と一緒にネバーシンク川へリターンマッチ。全然、魚の反応が違います。小さいブルックトラウトやブラウントラウトを堪能した後は、許可証をもらってネバーシンク貯水湖でレイクトラウトを釣ったりしていました。

現場育ちのフライフィッシャーへ

同じ釣り場ばかりで井の中の蛙にならないために、その後同じキャッツキルの中でも、ネバーシンク川のライバルのビーバーキル川へ転戦。オービス本社がある「ロスコー」なんて変な名前の街へ行くと、全米やヨーロッパのみならず母国日本からやってきたアングラーともすれ違います。

ロスコーの宿でフライの巻き方を教えてもらったり、デラウェア川のワイルドレインボーをウェットフライで釣ったり、クロトン川のブラウントラウトをストリーマーで釣ったり、ハワイでは知り合いの代打で借りたタックルで何釣りに行くのかもロクに理解しないままソルトフライでボーンフィッシュ釣っちゃったり、現場で出会うアングラーたちに育てられて、いっちょまえのフライフィッシャーに染まったのでした。

日本へ一時帰国中も従兄と一緒に木曽の源流でヤマトイワナを釣ったり、完全帰国後は奥多摩ヤマメをテンカラでやったり、芦ノ湖・中禅寺湖を引っ張ったり、奥日光や丸沼を釣ったり、犀川でスペイしたり、海外出張でもフライロッドを忍ばせて、カットスロートを釣ったりなどなど・・・。ソルトのフライフィッシングで目覚めたのに、アメリカ時代も入れて99.9%は淡水のフライフィッシングばかりで10シーズンくらい経ってしまいました。

ソルトへ原点回帰 – 10シーズン経過後

これはいかん。本末転倒になっちまう。とある海上自衛隊フライフィッシャー将校からの「海フライ」のススメと当時話題になっていたPatagoniaのショートフィルム「Running Down the Man」に触発されて、ソルトへ回帰することを決めてSAGE Xi2 9番ロッドを買い、当時勤めていた会社の近くにあった川崎サンスイでNautilus CCF 8番リールを買って沖縄旅行でカスミアジやミーバイを釣ったり、横浜でボートシーバスを始めたり、相模湾のシイラ&カツオやったり、自分で手漕ぎボートでサバやソウダやったり、気がついたら3シーズンも経たないのにソルトで使う6〜12番タックルまで揃っている上に、挙句の果てには伊豆の河口で425グレインのビーチロッドでフルキャストして8cmの豆ヒラスズキが釣れて喜んだり、湘南の海岸でツーハンドロッドで射程圏内に入るイナダの群れを追いかけて走り回って釣って周りの野郎どもから歓声が上がったり・・・。完全におかしなことになっていました。

東京フライフィッシング&カントリークラブ結成

そんなこんなでアウトドア慣れしたバイリンガルという条件がたたり、国内外の多方面から来るのは山のような英語のEメールや携帯にかかってくる英語の電話・・・。「あそこで釣るのはどうすればいい?」といった簡単なものから「あのガイドを訴えてやる」という危険な愚痴まで、ずっとEメールや電話でやりとりしていると大変なのでウェブサイトに情報を英語で載せることに。これが発端となってフライフィッシングとアウトドアライフの部活を始めることになりました。

「目指せフライで100魚種」の道へ – 15シーズン経過後

さらにシーズンが進み、ある日気がついたらフライで釣った魚種が65種を超えていたので、チョイ釣りで一気に数を稼いでやろうとソルト専用4番タックルを組むにいたり、巻くフライのサイズも32番フックから4/0フックまで拡大したり、バックパッキングで御蔵島行っちゃったり、小笠原まで行って30kgサイズのイソマグロに秒殺されたり、ホワイトチップシャークにイタズラしてフライラインが食われてボロボロになったり、会議をサボってプーケット島の磯でジャングルパーチ釣ったり、香港までターポン釣り行ったり、西表島を脱水症状でウロウロしたり、カヤックでマングローブ奥地でイノシシに怯えながら釣ったり、キャピングカーを買ってしまったり、釣り堀でストライパー釣ったり・・・

そんな繰り返しでついに90種を突破し、20シーズン目を迎えようとした矢先に事件は起こりました。

スカンジナビアン&スカジットでリハビリ – 20シーズン経過後

とある夜のボートシーバスの最中、いきなり右肩が思い通りに動かなくなり、シングルハンド中番手以上でのオーバーヘッドキャストがまともにできなくなってしまいます。幸運なことに、すでにツーハンドでのスペイキャストはマスターしていましたので、それをシングルハンドに応用することに。さらにスカンジナビアンとスカジットの両方のシステムであらゆる釣りを模索することになってから釣りの幅が広がりました。

これがきっかけでソルトばっかりだった私が、湖水や本流のフライフィッシングへ再びハマることになりました。

ノマドテクノロジーやRVを活用したツアー

一通りのフライタックルで暴れ回ったこともあり、最近のタックルの軽量化に驚愕しつつ、携帯通信網やノマド向けテクノロジーの進化のおかげで広い範囲におけるリモートワークが可能になったので、思い切って前から念願だったキャンピングカーでの四国遠征ツアーや北海道遠征ツアーを敢行してきました。

27シーズン目/100魚種達成

27シーズン目にあたる2022年は、ヨーロピアン・ニンフィングを始めることとなり、さらに競技スポーツとしてのフライフィッシングを体験。この中から生まれてくるノウハウやシステムをフライへ活かすことで、今まで釣ってきたフィールドでも明らかに釣果が変わってくることが大きな収穫でした。「一期一会」も大事ですが、時には「数という結果」を求めることでしか得られない風景も大事です。

右肩の治療を進めながらタックルの軽量化とキャスティングスタイルの変更を完了。シングルハンド8番までなら以前と同じように使い続けられるまでになりました。そして2022年の西表島ツアー中にフライフィッシングで100魚種を突破しました。

100魚種突破した西表島のリーフにて (2022年)

現在・29シーズン目

今後もフットワークを活かして、フライフィッシングから衝撃を受けた初心を忘れず、都内(23区内・多摩・島嶼部まで)はもちろん、東京発も北海道スケールでフィールドを考え、北海道から沖縄までのフライフィッシング情報を発信して行きたいと思います。

トーナメント戦績

  • 2023 ATFC 第22回大会 3位入賞

Hideto Edward Yoshida
hideto@urbanislander.co.jp