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小笠原諸島へ遠征 – 12日目

ティラピア,フライフィッシング,小笠原

母島から 60km北の父島も規模こそ母島よりは大きいですが、世帯数2,000の東京都の「浮かぶ田舎」であることに変りはありません。ユースホステルへチェックインした最初の夕飯で同席したダイバーたちから話を聞くと、15mくらい潜ったところにGTやイソマグロ、カンパチの群れがいていくらでもモリで突き放題とのこと。事実、これから実家へ送るための氷がいっぱい入った発泡スチロールの箱にカンパチが鎮座してました。

今回は一気に母島まで行ってから父島へ戻るコースでしたが、小笠原諸島全般、複雑な海岸線に対して人口が少なく、人の気配を感じないことで様々な魚たちが接岸してくる小笠原は改めてフライフィッシングにとって適した場所であるという認識を新たにしました。とはいえ、この日は同じ教区の教会の用事が控えているので、朝しかフライフィッシングできる時間が残されていません。朝食は取らずに朝からスクーターで島内へ偵察フィッシングへ出かけます。

須崎を偵察

GTを「獲ったどー」していたダイバーが「カンパチもたくさんいるぞ!」と熱く勧めていた「須崎」からチェックします。ここは戦争前は広いフラットになっていたのを旧日本軍が空港建設のために埋め立ててしまった場所であり、島民の話ではボーンフィッシュも普通に見られたそうです。シングルハンド9番にインタミをセットしたタックルで海岸に立つと確かに魚の気配がムンムンしています。小笠原へやってきてから「餌フライ」と化した命名「ボニンミノー」を結んでとりあえずロングキャストしてストリッピングすると、「フニャ」という手応えのアタリがあってフライの後ろを魚が追いかけてきます。

フライを触るのにフッキングしないので確かめてみると、ササヨの大群!母島ではあり得ないほど、アグレッシブなササヨたち。ここはフライ選びをちゃんとやれば面白い釣りができるフィールドなのかもしれません。しかしカンパチのボイルなどは一切見られなかったので、適当に切り上げます。

八ツ瀬川

次に向かったのは父島をゆったりと流れる八ツ瀬川。昔米軍統治下だった時に持ち込まれた淡水魚がどうなっているのか確認してみたく、ポイント、ポイントでスクーターを停めて観察しましたが、一番多いのはナイル・ティラピアたち。また日陰の場所ではオオクチユゴイと思しき警戒心の強い魚が電光石火の速さで木から落ちた昆虫を捕食していました。

オオクチユゴイらしき魚がいるスポットで竿を出そうとしましたが、シングルハンド9番のラインインパクトのため、一投目でポイントは沈黙・・・。ここは渓流タックルじゃ無いと無理な場面でした。

一匹くらい淡水魚をモノにしたかったのでナイルティラピアへ狙いを変えます。ティラピアは岸際にいくらでもいるのですが、実際に釣り始めるとなかなか警戒心が強くてフライを見に来ても咥えてくれません。仕方なくフライサイズとティペットをどんどん落としていって、最終的には18番の「ウジフライ」を5xティペットに結んでなんとか釣れましたが、なかなかのファイトです!釣り味は面白いので続けて同じフライでこのあと3匹追加しましたが、やはりタックルが強すぎると水面へのインパクトが大きすぎて魚がスレてしまうので、4-6番タックルがあれば非常に面白いゲームができる魚だと思います。

八ツ瀬川の河口

汽水域になっている最下流部分ではボラが多く、たまに掌サイズのギンガメアジらしき魚の群れが通り過ぎていきます。マングローブも生えていて環境としては沖縄の川にそっくりです。御蔵キャンディーにフライを結び替えてキャストしたら小さなギンガメアジの群れが追いかけてきましたが、口が小さすぎてヒットせず。

8:30には釣りを切り上げて集落へ戻らないとならないので、そろそろ急ぎ足になります。河口は緩やかな流れのまま海へとつながっていました。

小港海岸の白い砂浜

そして行き着いたのは・・・残念ながら写真では伝えられない素晴らしい景色。真っ白の砂浜にボニンブルーの海が目の前に広がっています。

平和なビーチにはあまり生命反応が無く、ここで納竿することに決定。これにて私の小笠原フライフィッシングも終了しました。今回、期待していたよりも遥かに水温が低くて魚たちの活性は良くありませんでしたが、小笠原におけるライトゲームとビッグゲームの能性は十分に感じられましたので、「東京」を伝える役割は果たせたと実感しました。

聖ジョージ教会

のんびり写真を撮っていたら時刻はすでに8:40!慌ててスクーターへ駆け戻り、ユースホステルでチェックアウト手続きを終わらせて荷物を玄関へ出した足で教会の礼拝へ急ぎます。小笠原唯一の教会である聖ジョージ教会は聖公会(英国国教会系プロテスタント)東京教区の教会で、実は東京タワー向かいの聖アンデレ教会と同じ教区だったりします。

小さな島の教会ですが歴史は着目すべきものがあり、1909年に英国国教会の教会として奉献された時の建物は当時有名なロンドン出身の建築家ジョサイア・コンドルによる設計。初任の牧師はジョセフ・ゴンザレス先生ですが当時小笠原とハワイを行き来していたイギリスの捕鯨船に乗ってハワイから移住してきた3代目の島民です。このゴンザレス先生の直系子孫であるアイザック・ゴンザレス=小笠原愛作先生が今の牧師として(2013年当時)頑張っていらっしゃって、いろんな教派を受け入れる明るい解放的な教会を作られています。

初代の聖ジョージ教会は太平洋戦争で燃えてしまい、今の建物は戦後の米軍統治下でハワイ教区の一部になった時に、ホノルル司教によって1968年に再建・奉献されました。この日の聖餐式に参加して驚いたのは今まで見たどこの教会よりも忙しい教会で、港の仕事をされる方達がわーっとやってきて、聖餐式が終わると慌てて仕事へ戻っていきます。恐らく大航海時代の港町の教会の空気を色濃く残っていて、昔はどこもこうだったのだと思います。

小笠原先生と

900kmも海で隔たれた2つの教会ですが、会報でもお名前を良く目にする小笠原先生とゆっくりとお話を伺いできてとても実りのある時間が過ごせました。とても話上手な先生なのでずっと島の話を聞いていると事情通になってしまいそうです!最後に旅の安全をお祈りしていただいたとともにこんなユニークで素晴らしい環境を作り上げた欧米日全ての先人へ感謝の報告をしてからお土産の買い物へ向かいました。都心に住んでいると忘れてしまう「町」という物が本来持つべき姿のヒントを与えていただいと思います。

父島出航

家族や友人へのお土産も買い終わり、船に乗り込んでからしばらく時間がありましたが、東京港へ向かうおがさわら丸は14:00に出航しました。島の恒例行事である「総出お見送り」ではジェットスキーやモーターボート、漁船がお客さんたちを送り出します!なんというホスピタリティ!これが同じ「東京都」なんですから信じられない光景です。

ここから丸一日の船旅に備えた装備も万全、楽しかった思い出を胸に同じ宿で知り合って帰京する仲間たちとの宴が始まるのでした。